鈴の実。

旅のこと、日常のことをゆるりとつづっています。

鈴の実

冬のロンドンの公園を一人で歩くこと

こんにちは、きみちゃんです。

 

コモンが風邪をひき、高熱を出しています。

疲れが溜まったのかな。

それとも、私の長引かせていた風邪が最後にうつってしまったのでしょうか。

悪寒から発熱という過程を経ています。

 

我が家に食料がないということで、近所のスーパーに1人で買いに行きました。

会社関係以外で1人で歩いたのは、本当に久しぶりでした。

よくよく考えてみると、本当にずっとコモンと一緒にいたのです。

買物も、遊びもずっと一緒。

 

久しぶりに1人で歩いたロンドンの街は、なんだかいつもと違ってみえました。

いつも意識の中でもう1人が加わってみえていたロンドンの風景と、公園と、道が、突然一対一で対峙してきました。

 

もちろん、彼と一緒になる前はそうでした。

目の前のものは、常に私にダイレクトに入ってきたし、たまにそれに疲れると眼鏡を外し、周りの風景がぼやけるようにしました。

それはあまりにも強くダイレクトすぎて、私ではうまく対処できないように見えたのです。

眼鏡を外すと、不思議なことに、周りの音も少しだけ遠ざかるような気がしました。

 

しかし、ここは海外。

さすがに1人で歩くのに、眼鏡をかけないわけには行きません。

(音だってちゃんと耳をすましてないと大変なことになりそうです。)

眼鏡を通してくっきりと見える冬の公園の裸の木々と、枯葉の落ちる湿った緑色の芝生は、おそらく昔私がこんな場所に住みたいと憧れた景色でした。

それは遠い遠い、中学生か高校生か、大学の始まりかの頃です。

大学で短期で留学するという選択肢を考えていたにもかかわらず、色んな事情で別のことを優先させて行きませんでした。

まぁ、あの時、短期でも留学しておけば、こんなに英語に苦労する人生にはならなかったはずですが、もし留学していたら、おそらく今の会社に入ったりしなかったでしょうし、そしてそうするとおそらくコモンにも出会ってなかったということになります。

そう考えると、やはり自分はベストな選択をしながら歩いてきたのだと思うわけです。

幸運なことに。

 

だから、多少英語で(多少では本当はないところが問題)苦労して、多少仕事で苦労して、結構まぁ過去に憧れていた自分とは違っていて、多少まだまだ嫌なやつとつきあわなくてはならないとしても、それはそれで仕方ないことなんじゃないかと思うわけです。

 

だって、これがベストな選択をしてきた今の結果になっているわけだから。

 

目の前を、大きな白い犬に引きずられているように散歩しているおじさんがいました。

公園では終盤戦に入った企画もののサーカスが、今宵のスタートに向けて準備をしています。冬のコートと毛糸の帽子を被ったカップルが微笑みながら歩いていきます。

 

確かなことは、この目に見える一瞬一瞬は今だけだということ。冬の冷たい風の中で、そう強く感じました。

この光景が見られるのは、今だけであると。

だから、人は感情に流されながら周りが見えたり見えなかったりするわけだけれど、少しだけ感情に流されず、今はその風景をじっと見るべきなんだと。

 

今年の終わりを感じ、来年の始まりを意識し、コモンが早く回復することを願って、そう思いました。