サグラダファミリアの森の中で
スペイン旅行の目的の上位にサグラダファミリアをみるというものがありました。
ガウディの作品、そしてまだ未完成という響き、日本にいる頃からずうっと見たかったものです。
そもそも日本人のスペインのイメージとは、これですよね、バルセロナ、サグラダファミリア、ガウディ。首都がマドリードだけど、バルセロナが一番最初に頭に浮かぶ。なぜなんだろう。誰がしかけたのかな?わからない。でも確かにバルセロナはとても愛すべき素晴らしい街でした。気候はとにかく暖かいし、食べ物も美味しい。何度も足を運びたくなります。ここで、テロがおきるなんて、やはり想像がつかなかった。
ということでガウディ。
結論から先に言うと、サグラダファミリアは想像を超えていました。
素晴らしかった。
そりゃあそうだろう、世界遺産だし、という言葉が聞こえてきそうですが、素晴らしいの意味合いがちょっと違うのです。
きみちゃんもコモンもそれなりの年数を既に生きてきたし、ネットや映画や本や漫画で頭は鍛えられてきました。見ている風景や物は、それなりに蓄積されパターン化かされてきました。すると、当然のことながら新しいものをみてもショッキングなほど感動するというのは年々少なくなっていっていきます。年をとるということは傷つくことも少なくなりますが、感動も減っていく、これが原則ですよね。
美味しいとこどりはできない。
しかし、サグラダファミリアの内部の森は、完全に私の想像を凌駕してくれました。美しさに心がシンと静まり、その光と影を何時間でもみていられるくらいでした。
教会の中に森を作ろうというその発想、神聖な教会だから神聖な森であるというその発想がまずとても美しいなぁと思いました。
宮崎駿監督のナウシカに、主人公のナウシカが腐海の森に落ちるシーンがあります。
アニメの中で腐海の森は外の空気を浄化する為に、毒を吐くという設定になっているのに、その腐海の地下のずっと奥では人が呼吸できる綺麗な空気が存在する。
有名すぎるシーンなので解説などいらないと思うのですが、サグラダファミリアの森からもしかしたら宮崎さんは発想を受けたのかもしれないなぁと、そこにいてふと思いました。影響を受けそして、オリジナルな素晴らしい作品を作り上げた。
私の勝手な想像の通りだったとして、そういう連綿と続く芸術作品のリレーというか、想像をかきたててしまうくらいの影響力というか、そこの点で私は人間の力というのは、素晴らしいなぁと思うわけです。
ガウディのこの森も、スペインのコルドバのメスキータの森からなんらかのインスピレーションを受けたのではないかとか。
オリジナルな作品の中に垣間見える、共通した美しさを思うとき、どうしても関連づけ、でも関連づけられないオリジナリティにまた感嘆してしまいます。
ガウディは、太陽は偉大な芸術家であると言ったように、サグラダファミリアのステンドグラスはその太陽の光の効果を最大限に計算しているようでした。
同じ形の窓でも、配色を変えたステンドグラスが教会の中に美しく光を注いでいました。
階段は、ガウディの他の作品でもよくみられる、やわらかな曲線でした。
ガウディは、サグラダファミリアの作成の途中に車に跳ねられて亡くなってしまったのだそうです。もちろんそれは無念だったろうなぁと思うのですが、そもそも彼の生きている間にはこの教会は絶対に出来上がらない規模だった。
自分が生きていない間に、完成形を見られない気持ちってどういうものなんだろう。完成はしなくてもただただその日に進めるだけの距離をコツコツとやるしかないというその信念は、どんなものだったんだろう。
もちろんそれはわからないけれど、彼のおかげで私たちは、この美しい建築物をみることができています。
日本人建築家の貢献もあって、生きている間に完成をみれるかもしれないサグラダファミリア。完成したときに、またきっとコモンと2人で訪れたいと思います。
それまで、テロの標的になど合わず、どうか美しいままでそこに建っていてほしい。そう願わずにいられません。
人の手でそれが守り続けられますように。
きみちゃんでした。